京都鉄道博物館からの展開

LINEBLOGに書いたように京都鉄道博物館に行ってきました。三年ぶりですが息子と二人で行くのは初めてです。

いろいろメモを取ったので紹介していきます。

489系雷鳥……ボンネットが前に突き出た形で、造形としては格好いいとは言えない車両。しかしその歪さがどこか格好いい。必然性から来る形がある種の美を感じさせる。ということは「現在」の歪さもある種の必然性から来ているはず。現在を批判する人が多いが、この歪さを「進化」と捉え、あえて美を見出すことも必要ではないか。

各種保存車両……つい最近まで現役の車両が多い。自分がギリギリ体験できなかった、手の届く過去を想像することが可能である。そしてこの「少し前」というのは「ズレ」を感じさせる前の世代と符合する。我々は世代間の「断絶」を嘆くが、実は想像することは可能であるし、前の世代に憧れを見出すことすらできる。世代間のギャップを超えるための具体的なツールを各自が見出すとよいのではないか。

鉄道の仕組みの展示……文化・社会として了解している鉄道を科学的に捉えること。文化には科学が内在している。理系的なものをあえてエクスカーションの対象にすることは意義深いのではないか。

運転シミュレーター……息子が鉄道の運転シミュレーターを楽しんでいる。鉄道を「受け手」として楽しむのみにとどまらず、発信側の仕事を模倣することが意味を持つ。文化は受けるだけでなく、作る側に回る方が面白いのではないか。学びの途中に創作を入れることが重要。

このあたりから、「文化探究エクスカーション」の中に「理系的体験」を入れることが重要だという考察が導き出されました。たとえば次は「神戸パン食べ歩きエクスカーション」ですが、「パン作りの仕組みを押さえた上でのパン作り体験」を入れ込むという案が浮上します。受け手と作り手を往還することで、科学的側面を学ぶという試みです。

以上は今日の気づきの半分くらいです。いつもこんな感じであれこれ考えながら遊んでいます。