物語的自己同一性

文学=フィクションは、「物語」という一本の線です。それを歴史に応用すると、事実の羅列を「物語」という線で繋ぐことが可能です。歴史と物語は実に近しく、神話の方法を歴史に応用することから物語的な歴史が始まっていきます。おそらくここに歴史=物語(histoire)の語源が潜んでいるのでしょう。

これを「自分語り(自伝)」に応用すると、過去の事実に一本の線を引くことが可能となります。よく「あの挫折のおかげで今がある」などと言う人がいますが、これこそがまさに物語であり、そこには幾何かの虚構が潜んでいます。本当は無関係かもしれない事実と事実の間に「必然」を見出して自己を語ることで、自分の物語が完成します。物語的自己同一性というやつです。

この自分史と虚構の関係を自覚させるのはさほど難しいことではありません。問題はそこから他者の物語と向き合うことです。自分と同様に、他者の中にもフィクション性を内包する物語が存在しています。見解の相違とはフィクション同士の衝突です。芥川が「藪の中」で指摘したように、複数の物語の絡み合いが社会の複雑さを形作っています。

文学研究は他者の物語を読み解く作業であり、それを教育展開したものがケースメソッドであると思っています。異なる物語を内包する他者といかに共存するか考えることが、社会を生きる力に繋がっていきます。そう考えると物語的自己同一性はもちろん、ポリフォニー(多声性)を考察対象としていた伝統的な文学研究、さらに物語構築の過程を明らかにする生成研究がどれほど実用的であるかが見えてきます。

生成研究を得意とする最先端の文学研究者とワークショップを行ってみたいです。次のプルースト研究会で人捜しをしてみましょう。我々の試みは文学理論の最先端とも絡み合うはずです。