開くことについて

国際文化学を熱心に学ぶ前、世界に対する妙な楽観視がありました。なんやかんやEUは先進的だし、アメリカもリベラルな政策に取り組んでいるし、日本に様々なポリコレが浸透しているし……といった感じです。しかしBrexitを皮切りに、その楽観視が崩壊し、死ぬほどの悩みの中に突き落とされました。

疑問に思ったことは発信したくなるため、仲間を募って学会でパネルディスカッションをしようと考えました。その際に僕は「Brexitやトランプによる自国第一主義」をかなり批判的に捉え、「閉じること」を警戒する姿勢を取っていました。その「決めつけ」をパネリスト仲間に指摘されたことで、ようやく「開きすぎること」の危険性が見えてきたのです。

重要なのは「開き」と「閉ざし」の中間に身を置くこと、と考えたとき、東浩紀の観光哲学が目にとまりました。観光は「他者に対して開かれる」ということを前提とするものではありません。この感覚を確かめるように、何度かエクスカーションを企画し、観光の意義を再確認することとなりました。

とことん一般化すると「開くこと」には限度があるのです。VERBEを半ば鎖国したコミュニティとしているのもその一環です。そこをオープンにしてしまうと、様々な価値観から指摘がわき起こり、結局「独自性」が失われてしまいます。

重要なのは「閉ざして考え、部分的に開く」ということです。というわけでそろそろ開きます。かねてから告知しているように、VERBEメンバーで久々にワークショップを行います。VERBEの名前はクレジットされていませんが、僕がVERBE企画だと思ったらVERBE企画なのです。

ワークショップでは自己分析で「閉じた内面」を分析し、それをフランス文化研究に向けて「開く」という試みを行います。自分でも面白いものが開発できたと考えています。初の実施なので失敗もあるでしょうが、楽しみです。ぜひお越しください。