人文系研究の意義

ツイッターが軽くバズっています。大学院生の苦境を訴えたツイートに乗っかって「人文系が役に立たないとか抜かすな!」とシャウトしたものがリツイされまくっています。

そもそも「役に立つ」とは何なのでしょうか。この単純にして多義的な言葉を問い直すことから議論を始めねばなりません。

だいたい、「それは役に立つの?」という問いは「富を生み出せるの」というものと同義です。とするとこの質問は、「あなたのボスは富を生み出せることをやっており、それに乗っかっているあなたはその実績で適切な場所に就職し、固定給を得られる生活を送り、結婚して養って子供を育てられるの?」と読み替えることができます。たぶん。

この手の質問には、他ならぬ僕が就職して家族を養っており、さらにはフランス文化研究の社会的意義を各所で発表しておりますので、日本中の人文系院生は「役に立つけど?」と堂々とお答えください。それでも納得いかない人には、「役に立つ」というワードの不安定さを実感してもらいたいです。

たとえば「レジ打ち」「車の運転」「会計」などはとても役に立つ仕事です。しかしレジ打ちのまま一生を終える人は皆無です。問題は「レジ打ち「も」できる」という人材であって、具体的な技術は時間を超える意味を持たないのです。「即役に立つ」は、「即役に立たなくなる」ということを理解してもらいたいところです。

重要なのは「今即役に立つ技術」ではなく、そういった技術を「すぐに習得できる力」なのです。どこに行っても即戦力となるのは、その場で仕事を覚えられ、チームの中で行動ができるような人材です。

そして多くの場合、職場のトラブルは「人間関係のトラブル」と同義です。では人間関係についてどのように学ぶとよいか。おそらく通り一遍等のマニュアルは役に立ちません。

そこで注目されるのが「対他者基礎力」の学びです。たったこれだけを見ても、他者の心理と真っ向から対峙する人文科学の重要性が理解できます。

当たり前のことかもしれませんが、人文科学がその意義を社会に具体的に落とし込んでいる例をあまり見たことがありません。せっかくでふのでジェネリックスキルと関連させたいところです。

人文学が「役に立つ」のは明らかではありますが、これからの社会では先人がスルーしてきた分、相手の土俵に乗りながら人文学の有用性を主張できる人が強いでしょう。これは現状を「チャンス」として捉えるという意味です。先人ができなかったからこそ、我々には耕すべき土地が残っています。そしてそれには可能な限り早く反応せねばなりません。