とりあえず今日最後。第3弾。

ラストは現在のデバイスの使い分けについて。

基礎ゼミでメールの使い方やワープロの打ち方を指導すると、自称「先進的な方」から「若者が使わないメールやパソコンなどを使うなどとは時代遅れだ」といった言説が飛んでくることがあります。すみません、僕は「アプリ系を使わず、スマホも禁止で、連絡にはPCでメールを使え」と指導しているわけではないのです。これに関しては僕のフリック入力の速さ、24時間LINE対応(即返信)、LINE上での言葉遣いは一切批判せず(挨拶がなかろうとも問題ない)、各種書類は写真撮影してLINEで送付するだけで良しとする、といった取り組みが参考になると思います。

そのような僕がそれでもなお基礎ゼミ生にメールやワープロを指導する理由は「二刀流の方が幅が広がるから」という考えに他なりません。

僕自身は「キーボードがレガシーになる可能性」を早めに見極め、なるべく多くの仕事をスマホでできるようにトレーニングし、今なお実践しております。その過程で見えてきたのはメールやワープロの「汎用性」です。

現在、近大はチャットソフトSlackの導入を検討しているようです。こちらもそれはそれで便利でよいと思っていますが、かつてサイボウズというアプリがあり、その役目を終えました。結構使ってたんですけどね(泣)そういった乱立するチャットアプリの相互利用が可能なのであれば、こちらも「どうぞメールはおやめください」ということができます。しかし現状はアプリ濫立期であり、汎用性はメールやワープロに劣るのです。

いろいろあるんですよ……メモするときなど、Evernoteとかsimple noteとかがとても便利ですけど、使っている人としか共有できません。結局他者とのやりとりはワードやノートになるんです。汎用性が違うんです。

考え方を変えると、学生がメールやワープロを使えないのは「パソコンを持っていない」という物理的事情による、とみなすことが可能です。これはスマホがパソコンを凌駕するほど進化したのではなく、若者が気軽に遊びで使う情報通信のレベルがスマホで代替できてしまうというだけのことです。言い換えると「持っていないからできない」というだけです。だからこれは「持っていなくても大丈夫」ではないのです。「メールの使い方を知らない」というのは先進的とまで言えず、「汎用的なツールを使う習慣を身につけられなかった」というマイナスの要素であるケースも往々にしてあります。

それゆえ僕は「PCとスマホ、メールとチャット、キーボードとフリック入力は相互依存的」と位置づけ、二刀流になることを推奨しています。どちらかしか使えなければ、必ず問題が生じてしまうのです。なるほど、たとえばメールよりメッセンジャーが効率的です。しかしメッセンジャーはメールの汎用性に劣ります。だってIDがない人には通じませんからね。おそらくこの現象はいかなるチャットアプリが浸透しようが同じであり、チャットアプリ同士の互換性が完全にクリアされ、浸透率が高まることで初めてメールは役目を終えるのです。

汎用的ツールのトレーニングをしなくてもよいというならやめますが、それは学生に僕のレベルでスマホやチャットアプリを使いこなすことを強いることですし、その結果、汎用的ツールを知らぬ人との連絡に深刻な溝を生んでしまうかもしれません。疑うべきは「先進的」な人間、そして「守旧派」の人間によるゼロサム思考です。どちらかを全否定するのでは不十分であり、自らを分断されたデバイスの「あいだ」に置くことが求められるのです。