あー、VERBEページのアップを忘れていた

一ヶ月の長きにわたり、なんかすんません。ネタはあるので、最近のを少しまとめてアップします。

長崎大学で開催された日本国際文化学会では、「国際文化学としてのフランス文化教育」というタイトルで発表を行いました。内容的には大学教育系の学会で話す内容でしたが、あえて国際文化学会で発表したことには意味があります。

たとえば大学教育改革について声高に語ると、守旧派の先生方は難色を示します。これは「アクティブラーニングの推奨」が「座学批判」として認識されるからです。これは大きな間違いであり、座学による教育は学生の基礎的な教養の獲得に極めて大きな意味を発揮します。逆に手法だけが先行したアクティブラーニングには「表面的な活性化」が残るだけです。

今回のテーマは、授業それ自体が「異文化体験」と見なすことに新しさがあったのだと思います。学生は座って学びながら、異文化の素養を少しずつ身につけていきます。それは立派な異文化体験です。となると問題は学生に現在進行形の異文化体験を「自覚」させることでしょう。それをせず、授業をただ流してしまうと「異文化体験をしている」という意識を得られないまま、貴重な時間を過ごしてしまいます。

よって重要となるのは授業の「目的・目標」の明確化と「リフレクション」です。それを通じて異文化との接触をメタに捉えさせ、現在の体験の特殊性を自覚させねばなりません。

このように国際文化学のフィルターを通すと、授業の位置づけは一気に変わります。たとえばフランス文化ケースメソッドでは、各教員のレクチャーをジグソー法で学ぶのがポイントです。これを行うことで、1名が聴けるのは3つのレクチャーの1つになってしまいます。これは「残念」と考える人も多いのですが、このときにレクチャーを聴く一名は「文化運搬者」になるのです。つまり「授業」という「異文化圏」で学んだことを「自国」に持ち帰る役割を負うこととなります。

その後、エキスパートからの全体共有によって「自国」に文化が浸透していきます。これが文化の伝播と同じ構造を持つのです。ゆえに持ち帰ったレクチャーは「自国」の抵抗を受け、自国の文脈で受容されます。フランス文化ケースメソッドは、このような「文化触変」を意図的に起こすことで、フランス文化を自分事として学ぶトレーニングをするのですね。

このように国際文化学と大学教育の関連性は非常に面白いです。もう少し考察を続けてみます。