世代を貫くものとは

不惑になって二ヶ月が過ぎました。「年齢層」というものに注目してみます。

昨日、かつて一世を風靡したシグナルというグループの稲垣達雄さんのライブに行きました。客層は「50〜60代の女性」が多かったように思います。

他方、うちの奥さんがライブをすると、客層は「50〜60代の男性」となります。奥さんにひっついてライブを見に行くことが多かったので、「ライブハウスに集まる=50〜60代の男性」というイメージが強く、ここまで女性客が多い空間に驚きました。

稲垣達雄と同じ青春を過ごしたファンたちが同じように歳を重ね、ライブハウスに集うのです。考えてみると当たり前のように思います。しかし、会場に集ったのは「リアルタイムのファン」だけではありません。ずっとあとに稲垣さんの曲を聴いてファンになった人もいると思います。そういった人たちがライブハウスにやってくると、同世代の女性と知り合うわけで、自然とライブハウスは「待ち合わせの空間」として機能していくことになります。そうなると同世代の女性ファンがさらに集まっていくきっかけが生まれます。

僕はといえば、そんな様子をぼんやり眺めながら、これを教育に転用できないかと考えておりました。大学教育は「同じ世代」を集めて授業を発信するものです。しかしそこには「同じ世代」という共通点しか存在せず、必ずしもクラス全体が「仲良くなる」ということはありません。となると何かが見えてきます。それは「一つの世代を貫く何か」です。

シグナルを聞いていた世代は、フォークブーム、グループサウンズといった時代の目撃者でもあります。その時代的なコードゆえに、同じ空間を共有できるのでしょう。他方、現代は世代間のコードがバラバラの時代です。何か共通のものでまとめ上げるのは困難でしょう。

となると、答えは一つです。現在学生に提示している「授業」「大学」を共通項にしてしまうことです。それこそがメディアに縛られず、全員が一致して触れるものだからです。ですのでフランス語を初めとする授業に関連する話題が「授業外」で共有されることを考えるとよくなります。

たとえば僕はわざと教科書の設問を解説せずに、そこを小テストの範囲にします。添削はLINEで行いますが、完全に答えを教えることはしません。そうすると、小テストの日が近づくと、至ると琴で「学生同士が答えを確認し合う風景」を見ることができます。ここから「フランス語」という記憶が共有されていき、クラス内の信頼関係が高まっていきます。

ですが、この方式はすでに長く続けているためか、学生の「慣れ」とともに新鮮味がなくなってきます。「世代の共通点としての授業」という特性をどう生かすか、新たな考察の始まりです。