本来の目的は何か?

ちょっと早く講義室に行ったら、フランス語のクラスの学生たちが一生懸命「先週出した宿題」をやっていました。5分ほどの間に必死こいてやってきた友人の答えを書き写しをしています。

「今宿題を移している人、無意味です。今すぐ辞めてポケモンでも探しなさい。その方がまだ意味があります」と言い、その無意味な作業を終わらせました。学生が「え?」という顔をしたので、授業中に説明します。

僕の出す「宿題」は、「学習内容を忘れないように、ポイントを課外で維持すること」が目的です。ですので空欄を埋めることは評価対象にすらなりません。それなのに授業開始前に書き写すことなど、単なる時間と手間の無駄です。

次に授業でこんな問題がありました。

不定冠詞を入れなさい。
(    )robe

学生に聞くと、自信たっぷりに「une」と答えました。

「はい、正解です。でも意味はありません」

また学生が不思議な顔をします。ですが不定冠詞「un, une, des」など一瞬で覚えられますし、女性名詞にはuneを入れるなど簡単です。ここでのポイントは、「une robe」と冠詞をつけることで「名詞が実体化する」ということを意識してもらいたい点にあります。冠詞とともに単語を捉える感覚が必要であり、それを養うトレーニングです。であれば空欄の答えだけを述べても意味がないのです。

学生の手元に消しゴムがあります。シャープペンシルで書き、間違ったところを消して、正しい答えを書いています。

「消しゴムを使う意味を教えてください」

この質問に対しても学生が「え?」という顔をします。ですが自分のための教科書やノートで、間違えたところを丁寧に消し、新しい答えを書き、一体誰に見せるつもりでしょう?間違いなど斜線を引いて消し、正しい答えを書き、正解の生成過程を残しておく方がまだ意味があります。学生にはボールペンを使うこと、そしてそのボールペンはストレスがかからない滑らかな書き心地のものを選ぶべきことを告げておきました。

宿題をやること、空欄を埋めること、間違いを消すこと……すべて僕からすると意味が薄弱です。そこに時間と手間をかけても評価などしません。僕の目的は「フランス語を通じて自分を変えていき、生涯学ぶアクティブラーナーを作ること」であり、授業という「課題」の中で学生が個々の目標を達成していくことにしか興味がないのです。

学生がこだわるのは往々にして「手段」です。課題をクリアするための手段としての宿題、空欄補充、ノート作成……いつしかそれらが目的とすり替わり、そこを埋めることで安心しようとしてしまう。その時間を本来の「目的」に向かわせることが当面の目標です。