「未知」を探る

Facebookに書いたのに、昨日中にアップするのを忘れていました。なんのことはない、一日中飛び回ってたので余裕がなかったのです(泣)毎日更新の記録は途絶えておりません。

前回は中等教育における外国文化の問題を指摘しました。ヨーロッパをはじめとする異文化の見識が広く共有されていないこと自体は大きな問題ですが、そういう学生を前にした授業の中身に関しては「選択肢が広がる」という利点もあります。

フランスを例にとると、カフェ文化、ワイン文化はもちろん、映画、ファッション、絵画といったものが学生に共有されていない状況です。考え方にもよりますが、我々は「初学」を任されることになるわけで、実は非常にありがたいです。学生の発見や驚きをいつも目の当たりにできるからですね。

たとえばカフェ文化に関していうと、我々の学生時代はスタバやドトールといった空間がなく、カフェといえば「純喫茶」ばかりでした。ですから喫茶店でコーヒーを飲みながら読書やおしゃべりをすることが一つのステイタスであったわけです。この「デビュー」は人によりますが、僕は予備校時代でした。つまり喫茶店に行ったことがない大学一年生がありふれていた時代です。

いつしかスタバやドトールが当たり前になり、若者がカフェに集うことが珍しくなくなりました。カフェ文化が「スタバ」に象徴されるようになると、今度はフランスのカフェ文化が不思議に見えてきます。つまりアルコールが飲め、ステーキを食べられる「カフェ」が「異文化」の象徴に変化するのです。

「知っているもの」が異文化により「表装を変える」ことで、学生の驚きが生じます。となると次は「カフェ体験」というものをさせたくなるのですが、フランスとイメージが近いカフェといえばどこでしょうか(情報募集中)。

かくして初学者の驚きが自分の地域探究へと発展していくことになります。「無知」というネガティブな言葉を「未知」に変換することで教育の可能性が広がっていくことを実感する日々です。