心からのリスペクト

連休が終わり、日常が締まってきました。今年は各クラスの雰囲気がよく、本当にやりやすいです。

ところで昨日しみじみと思ったのですが、僕の基礎ゼミは3年連続で「ハズレなし」です。スポーツ生を対象とするゼミですが、本当にいい学生ばかりが揃っています。

毎回僕のところばかりズルいかもしれないと思っていたのですが、ちょっと考え方を変えてみました。ひょっとして僕の内面に「基礎ゼミ生を素晴らしい」と見なす何かが潜んでいるのではないか?つまり、仮にどんな基礎ゼミ生が来ても「素晴らしい」と思ってしまう体質なのではないかということです。

自己分析していくと思い当たる節があります。それは2017年度に基礎ゼミを任された第一回目の授業のことです。

担当初年度、僕は「感動体験」というテーマの小論文を書かせる課題を出していました。初回の授業では、スポーツ生が人生の中で「感動」を覚えた体験をグループで自由に語ることを試みました。その出来事が未だに忘れられないのです。「強敵を倒して全国大会に出場した」「勝てそうな試合で負けてしまった」「自信を喪失したときに先輩に励まされた」など、自分の大学一年次の体験を遙かに上回るエピソードが続出しました。

考えてみれば当たり前です。彼らは大学スポーツ界のトップアスリートばかりです。とんでもない実力の持ち主が一つの教室に集っていたわけです。しかし、これは考えようによってはとんでもない奇跡ではないでしょうか。自分の人生の中で会おうと思っても会えないようなアスリートたちが惜しげも無く体験談を披露しているのです。

僕はその瞬間に本当にゾクゾクし、興奮してしまいました。以来、スポーツ生を心からリスペクトしています。その気持ちは変わらず、新たな学生が入ってくるたびにエピソードを聞いては感動をもらっています。

このような「リスペクト」が体の深くに刻まれているため、スポーツ生が「宝の塊」に見えてしまうのです。つまりスポーツ生は存在そのものが「宝」であり、僕はそれを理解しているゆえに「基礎ゼミのハズレがない」という教師人生に突入しているわけです。

ふと思い立ち、今日は授業の中で一般生をリスペクト出来る部分を探してみました。授業で少し変わった課題を行いながら、学生同士を交流させ、何かが生まれないかじっと観察したところ、実に素晴らしいものが次々と学生の口から生み出されていきました。おそらく学生にその実感はないでしょう。ですが一般生もめちゃくちゃ素晴らしいです。しばらく学生リスペクトが止まりそうにありません。

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