相手と自分を繋ぐ言葉

5月末に堀辰雄記念館で開かれる「野いばら講座」の講演会の準備がいい感じで進んでいます。いつもの学会であればアピールポイントをそこかしこに仕込むのですが、今回は堀辰雄とプルーストの関係をじっくりと論じたいです。

「自分にとっての新しいこと」は所詮ローカルな話です。わざわざ新しいことを追求してとんがった議論をするよりは、これまで明らかにした内容を整理し、一つずつ確認しながら進んでいくような流れにしたいと考えています。

とはいえ少しとんがっているかもしれません。いつものことですが、論文で今現在考察している内容を放出します。

近畿大学講義「国際化と異文化理解」は、何度かご紹介しているように、きわめてとんがっています。今日などもプルーストのネルヴァル受容、写実主義批判を皮切りに、プルースト以降の20世紀文学まで議論してしまいました。法学部一年生向きなのにムチャクチャです。

学生に対して難しいことを述べる際のポイントは、バンジージャンプのような「命綱」をなるべく太くしておくことです。議論の中心はとことんわかりやすくします。そのために、なるべく学生自身の体験に議論の骨子を紐付けます。今日であれば「現実は万人にとって同じだと思うかもしれないが、実は一人ひとり違っている」という話です。そこをきっかけとして「夢」「現実」を論じるため、素材が難しくても中心を外さなくなります。

結局のところ、いかに内容が難しくても、「わかる言葉」を駆使するとわかってもらえるのです。相手の頭の中にある言葉を組み合わせる、あるいは相手が体験したことになぞらえて説明することが重要です。ここで相手の頭の外側にある単語を使ってしまうと、自分と相手がどんどん離れてしまいます。

日々の講義とは違い、人生初の軽井沢です。どんな形になるのか、ポジティヴな緊張感に満ち溢れています。